アメリカファッションウィーク2021のバックステージ。
「いい?これはトップブランドが集まるファッションイベントで、メディアもめっちゃ見てるの。ミスとか絶対許されないから。ウチらのメイク事務所の名前を汚すなよ!わかった?」
「了解です、奥様!」
ビクトリア夫人、つまりSNエンターテイメントグループのメイク事務所のボスからの短い説明が終わると、集まっていた数人のメイクアップアーティストたちは散っていった。その中に、オリビアは顔をしかめながらメイクアップケースを2つ持っているのが見えた。
「オリビア、早くしろよ!モデルが来るまで時間ないんだから!」2歩後ろから、ジェーンがすごい形相で叫んだ。
「はい!そんなノロマな歩き方してたらダメよ!」ジェーンの横から、ライサが加勢した。
メイクアップケース2つを持つのがやっとのオリビアは、ただ頷くだけだった。でも心の中では、マジギレしてた。両手に重たいケース2つも持って、どうやって早く走れって言うんだよ?!
(もう十分早いって!あんたらのケース持ってるの見てないの?!)オリビアは2人を呪いながら心の中で思った。
オリビアは、もう5年近く美容の仕事をしている。SNエンターテイメントグループ事務所に入る前は、JMエンターテイメント事務所で働いていた。残念ながら、定番の理由で辞めることになったんだけど、それはサービス残業が多くて、全然報われなかったから。頑張っても、給料に反映されることってほとんどなかった。
「オリビア!」
「はい、すぐ行きます!」
SNグループ事務所に移ってから、オリビアの運命は変わったと思う?いや、そんなことなかった。ことわざにもあるように、ワニの檻から出て、今度はトラの檻に入ったって感じ。
同じ運命なんだよ。オリビアは1年半以上も経つのに、ずっと研修生みたいな扱いだった。彼女は、このUSファッションウィークみたいなイベントじゃなくて、メイクルームでクライアントのメイクをするだけだったんだ。
それに、オリビアは自分でクライアントを選べなかった。その結果、メインのメイクアップアーティストであるはずのオリビアは、いつもメインのメイクアップアーティストのアシスタントだった。もう1年…いや、もうすぐ2年になる。
マジでムカつく。
チーン。
エレベーターが開いて、オリビアは2人の先輩に追いつこうと急いだ。スタッフでごった返す廊下を歩く。これから登場するモデルたちのスタッフや、USファッションウィークのイベントを運営するスタッフたち。
歩いていると、混雑した廊下で何度も肩をぶつけられた。「すみません!お仕事頑張ってください!」オリビアは、ぶつかってきたスタッフや、もう到着しているモデルたちに、毎回そう言った。
ついに、オリビアはとても静かな部屋にたどり着いた。広々としていて、他の事務所のメイクアップアーティストがたくさんいた。服を運んだり、まっすぐ平行に並べられたメイクアップテーブルを片付けたり、ヘアスタイルやメイクについて他のメイクアップアーティストと話し合ったりしている。
オリビアは一瞬呆然とした。彼女の足取りは徐々に遅くなった。2人の先輩がすでに彼女から離れていっていることに気づかずに。
オリビアの目が輝き、尊敬の笑顔が顔に広がった。特に、左側に並んでいるドレッシングテーブルをすでに埋めているたくさんのモデルを見てから。オリビアが彼らを見るのは初めてだった。
「うわー、スマホで見てた人たちだ、本物だ…」オリビアは言葉を最後まで言い切ることさえできなかった。喉が詰まってしまったんだ。
オリビアが有名モデルたちを目の当たりにした時の驚きを表現するのは、本当に難しい。
オリビアは全員の名前を覚えてはいなかったけど、4人の名前はしっかり覚えていた。彼女たちはSNSでよく見かける顔で、オリビアは彼女たちの美しさに憧れていた。みたいな。
「おい、道の真ん中に突っ立ってるつもり?」
オリビアは、男の声が背後から突然聞こえてきて息を呑んだ。驚いた顔でくるっと振り返った。
その瞬間、オリビアは、注意してきた男の隣にいる人を見て、全身が固まってしまった。オリビアは、今見ているものが夢じゃないことを確認するために、何度も瞬きしたんだ。
それは、アクセル・ハンセル・ジョンソン、有名なフォトモデルで、事務所カイスタエンターテイメントのオーナーだったんだ。
アクセル・ハンセル・ジョンソンが、目の前にいるんだ!
「もしもし?ミス?」アクセルの隣にいる男が、オリビアの顔の前で軽く手を振った。
「オリビア!」
オリビアは、背後から聞こえてきた甲高い声に、ハッと我に返った。ジェーンがちょうど到着したばかりで、少しオリビアに近づいてきた。彼女の顔には苛立ちの色が見て取れた。
「あんた!ここで何やってんの?」ジェーンはオリビアに皮肉な口調で尋ねた。彼女の目は警告するように睨んでいた。でも次の瞬間、フォトモデルのアクセルを見て笑顔になった。
「あら、アシスタントのオリビアと、アクセル様、そしてアクセルさんのマネージャーのジョナサンさんですわ」
アクセルはほんの少しだけ微笑んでから、オリビアの方を見た。オリビアは、すごく緊張して、こっそり下唇を噛んだ。韓国風のお辞儀をして、頭を下げた。
「すみません、ジョナサンさん」オリビアはアクセルの隣の男に言った。
アクセルの隣で、ジョナサンは軽く頷いた。彼は少し笑った。威圧的なオーラを醸し出しているような声とは対照的に、ジョナサンの顔は本当にフレンドリーだった。
「あー、問題ないよ。みんな今日緊張してるから、君のアシスタントも同じ気持ちだと思うよ」アクセルのパーソナルマネージャーであるジョナサンは答えた。
オリビアは、先輩のジェーンが彼女をアシスタントと呼んだことにやっと気づいた!オリビアだってメインのメイクアップアーティストの役割を担えるのに!
「でも、やっぱりプロ意識は必要だわ。それで、ジョングクの準備はできた?」ジェーンは、ニヤリとした笑顔で尋ねた。
ジョナサンは頷いた。アクセルは、ジェーン、オリビア、そして自分のマネージャーから一番最初に離れていった。彼は、無関心な様子で、ドレッシングテーブルの方へ歩いていった。
「こっちよ」ジェーンはジョナサンに、丁寧な仕草で促した。
ジョナサンはアクセルの後を追った。ジェーンは2人に追いつく前に、顔の表情を硬く鋭いものに変えた。オリビアに何かを囁いた。
「事務所の名声を傷つけるようなことは、絶対にしないでって言ったでしょ!」ジェーンは、言葉に力を込めてそう言った。
オリビアは顔をしかめ、少し怯んだ。彼女は両手を組み、体の前に置いた。ジェーンの睨みつける目に顔を上げることができず、頭を下げた。
ジェーンには気づかれなかったけど、数メートル離れたところから、アクセルは足を止め、体を後ろに向けた。彼は、ジェーンがメイクアップアシスタントを威圧的なオーラで指差しているのに気づいたんだ。
アクセルは顔をしかめ、少し首を傾げた。「ジョナサンさん、メイクは後で僕がするんですか?」
ジョナサンはすでに彼の隣に立っていて、視線の先を見ていた。ジェーンの姿が近づいてくるのを見て、ジョナサンは頷いた。
「はい、そうです。彼女です。僕らのところに向かって歩いてくる女性のことですよね?」ジョナサンは尋ねた。
「いや」アクセルは答えた。「彼女の後ろの女性だよ」
ジョナサンの顔に困惑の色が浮かんだ。「君は彼女にメイクしてほしいって?」
アクセルは自信を持って頷いた。抗議したいような顔をしたジョナサンは、やめたみたいで、ジェーンに話しかけた。彼らの会話の中で、ジェーンは納得できないようだった。でも、ジョナサンはアクセルの事務所の名前を持ち出した。
その結果、メイクアップケースを2つ持つのに苦労しているように見えたオリビアが到着するとすぐに、ジェーンは彼女を呼び止めたんだ。
「ねえ、オリビア。アクセルのメイクは、あなたに任せるわ」
突然、オリビアは目を見開いた。「え?」
オリビアの視線がアクセルに向くと、彼は意味ありげな笑顔を見せた。小さくて短い。まるで以前のように颯爽と歩き去ったんだ。
これは、一体どんな夢なんだ?!