第37章
目の前にある、湯気の立つホットチョコレートをじっと見つめた。両手で包み込んで、あったまろうとしてるんだよね。俺はジョーンズ家にお邪魔してる。だって、実質的に一人暮らしみたいな俺のこと知って、すぐに場所を提供してくれたんだから。
スマホがピコンって鳴って、チラッと見た。画面が光ってる。
『次の試合、2日後の夜8時。遅れるなよーレヴィ』
内側の頬を噛んだ。こういう、自分と自分の考えだけが残される瞬間って嫌なんだよ。考えすぎちゃうし、自分がしてきた選択の後悔がどんどん積み重なっていくんだ。
肩に手が置かれて、親指で肩甲骨のあたりを小さく円を描くように擦られた。「どうした?なんかあった?」アダムの声がキッチンに響く。両手が俺の肩に落ちて、器用に揉み始めた。
気持ちよくて、思わず溜息。頭を後ろに倒した。あー、そこそこ!って感じで、手が動き回って、腕の凝りをほぐしてくれるんだ。
「ケース?」
んー、と返事したけど、しばらくして、彼が何か聞いてたのに気づいた。
「別に、たいしたことじゃないよ」あっさり否定したけど、本当はそうでもなかったんだ。試合はかすり傷一つなく終わって、カーラのお見舞いにこっそり2000ドル渡せたし。彼女は昼寝してたから気づかれなかったけど。最近、弱ってきてて、もっと休養が必要なんだ。やつれて顔色も悪くて、見てると辛い。
『手伝ってあげてるじゃん』良心が慰めてくるから、心の中で頷いた。その日の夜、アダムから電話があって、差出人不明で2000ドルが母親の病室に届けられたって。嘘つく必要なかった。アダムが、これで医療費の足しになるって興奮して話してるのを聞いて、俺も嬉しかった。
優しく微笑んで、心配を遮った。「大丈夫だよ」本当だよ。余裕だった。昨日の試合なんて、肌に傷一つついてないし。
「何考えてたの?」アダムが尋ねてきて、声に笑みが滲んでる。少しだけ体が硬直したけど、すぐに気づいて、もう一度リラックスさせた。
全部吐き出したいけど、そうしたら、アダムはきっと反対するだろうな。「危ないことするな」とか、そういうこと言うに決まってる。
昨日は全然そんな感じじゃなかったけどね。良心がまた囁くから、俺は微笑んだ。昨夜の一回戦での勝利を思い出しながら。
対戦相手と目を合わせた。警戒して。
やっぱり、あいつ、めちゃくちゃイカつい。いや、ちょっと待て。正直に言おう。異常にデカい。そう、言っちゃった。異常にデカい上に、頭が豆粒みたいなんだもん。
奴がロープをくぐらずに、跨いで入ってくるのを見てた。感情を出さないようにした。あいつの顔はポーカーフェイス。俺は、獲物を狙う鷹みたいに、奴の一挙手一投足を見てる。お互い様だけどね。神経を解き放ち、本能に任せた。
ゴングが鳴って、奴が俺の周りを回り始めた。俺はそのまま立って、奴の動きに合わせて体を動かして、視界から外れないようにした。
奴から目を離さない。奴の目が細まって、ついにパンチを繰り出そうとした。腕っぷしはなかなかだったけど、遅かった。何が起きてるのか奴が理解する前に、俺は飛び込んで、パンチをかわした。
周りからブーイングが聞こえてきた。長すぎるとか文句言ってるんだ。でも、俺は飛び込んで、手を目立たないように振るった瞬間、相手が苦痛に顔を歪ませて、静まり返ったから、狙い通りだってわかった。
奴は男の部分を押さえるのに夢中で、俺の動きに気づいてない。静寂ってのは、初めての感覚だった。ゾクゾクする瞬間だった。
周りの騒音が止まったのは無視して、奴が苦しんでいる間に、奴の胸に膝を突き立てて、相手を倒した。奴はすでに便秘みたいな顔してるけど、念のため、奴の首に手を置いたままにした。
頭の中で8まで数えたら、サイレンが鳴って、血が流れない代わりに、がっかりしたブーイングが掻き消された。俺は石のような仮面の下に、嫌悪感を隠した。
ああいう連中はどうかしてる。あんな試合を見て楽しんでるんだから。血が飛び散るところとか。でも、奴らのおかげで2000ドル手に入るんだ。誰が勝つか賭けてるんだろうし、担架で運ばれていく男に大金賭けてる奴も結構いるんじゃない?だって、あいつ、痛すぎて目も開けられないんだから。
リングから降りると、レヴィがニヤニヤして待ってた。顔が引きちぎれそうなくらい笑ってる。目に光が宿って、俺のこと見直してるみたいだ。少しだけ笑って、この場所の汚れを全部落としたい気分だったけど、レヴィの試合のために残る約束しちゃったんだ。
「マジで何あれ?」やつは興奮気味で、おかしくて俺も笑っちゃった。
肩をすくめて、「なんか色々」って呟いたら、レヴィの目がまん丸になった。
「なんか色々?ピックス、あんた残酷すぎ!男が股間殴られるのがどれだけ痛いか知ってんのかよ?!マジで地獄だぞ。それを女にやられるなんて、男のプライドにめっちゃ傷がつくんだぞ!」レヴィは声が大きくて、ほとんど叫んでるみたいだ。俺は、そのほぼセクハラ発言に睨みをきかせたから、あいつは気づいたみたいだ。
観念したように両手を上げて、自分の名前が呼ばれて、次はあいつが誰かをぶん殴る番になったんだ。
『ぶん殴られる』って言葉が、俺の性格悪い良心の頭の中に滑り込んできた。レヴィがロープをくぐるのを見てると、変な不安がよぎるんだ。
マジで俺の良心って、たまにムカつく。レヴィは強いけど、誰にだって弱点はあるんだから。
夜は更けて、俺はレヴィが誰かに殴られるたびに、少しだけ顔をしかめて、カバンをぎゅっと握りしめてた。でも、夜が明けて、レヴィが試合に勝って、やっと俺のところに帰ってきたんだ。リングから出てきて、少しだけ笑って。
やっとレヴィの傷が見えた。たいしたことないけど、唇が切れてるから、大きく笑う癖があるあいつには、ちょっと問題かも。頬の傷はどんどん赤くなってきて、血が顔を伝ってる。
「大丈夫、俺のじゃないから」レヴィが言って、俺は頷いた。階段を下りて、賞金を受け取りに行って、それぞれのベッドで安眠するため、家へと帰ったんだ。
アダムの声で我に返って、心配そうなアダムの目を見た。
「大丈夫か?ケース、ボーッとしてるぞ」心配そうな声に、俺はアダムが心配してるところが可愛くて笑った。
俺がストリートファイターだって知ってて、俺がボーッとしてただけで、心配するんだから。あいつは、自分のことになるとマジで心配性すぎる。
「お前だけだよ」って返事したら、自分が考えてたこと無意識に口にしちゃったことに気づいて、顔が赤くなった。気まずい沈黙を避けるために必死で頭を回転させて、アダムが何も言ってないフリをすることにした。
話題を変えるには、それが一番手っ取り早い。何事もなかったように振る舞って、変なこと疑われないようにして、それから、前の話と全く関係ないことを話すんだ。
首を振って、笑顔を向けて「大丈夫だよ」
やっとアダムが隣に座って、少し緊張した様子で、俺は眉をひそめた。
なになに、なんで緊張してんだ?
「それでさ…」アダムが話し始めて、俺はなんか面白くなくて、片方の眉を上げた。アダムは深く息を吸い込み、まるで水中に潜って息を止める勝負をするみたいだった。
「今週末、どこか行かないかなって思ってて」予想外の質問に、俺の眉は両方上がったけど、口は開かなかったから、アダムは困った顔をしてると思う。
「その、別に断ってもいいんだぞ。最近色々あったから忙しいだろうし…」アダムはまだ何か言おうとしてるから、俺はすぐに手を上げて、アダムの口を塞いだ。
「うん、行くよ。今週の土曜、暇だし」肩をすくめたら、アダムの顔がぱあっと明るくなった。
「ピクニックとかどうかな?」
俺はまた肩をすくめた。
「ピクニックとかしたことないし」
どこに行くかなんて、別にどうでもよかった。戦いとか関係ない場所なら。もう、そういうのから解放されたかったから。
アダムは俺に微笑んで、顔がひきつるんじゃないかってくらい笑ってる。
俺も微笑んで、欠伸をした。まだ9時過ぎなのに、もう眠くて仕方なかったから、ゲストルームに退散して、気持ちいいベッドに倒れ込んだ。試合の後、あまり眠れなかったから、枕に頭をつけた瞬間に眠りに落ちても、文句は言わなかった。