第75章
目をつぶって、鼻から深呼吸した。プレストンの質問が頭の中でこだまする。
「で、どうするんだ、ケイ?」
自分に問いかけた。心は重く、ドアをノックして、ドアノブを下げて、少し開けて、ゆっくりと部屋に入った。
「大丈夫、ケイ。できる」
心の中でそう言い聞かせた。部屋を見回し、視線はベッドに横たわる男に。彼は目を閉じて、顔には深いシワが寄っている。
頭は枕の山に支えられていて、天井だけじゃなく部屋全体を見渡せるようになっている。
喉に何か詰まったみたいで、心臓が胃に落ちるような感覚。彼の目がパッと開いて、こっちを見たから。息が詰まって、反応を待って、息を止めた。
迎えられたのは、しかめっ面と困惑した表情だった。
「君、誰だっけ?」
困惑の色を帯びた声で彼は尋ねてきた。
心臓がさらに落ちていくのが感じられた。
「俺のこと覚えてないんだ」
現実が私に襲いかかってきた。そして、ついに彼にとって私はまた他人になったのだと悟った。
これが最初からあなたが望んでいたことじゃない。彼に構ってほしくなくて、追いかけてほしくなかった。幸せになりなさい。たくさんのウソで自分を納得させようとしたけど、心の奥底では、この男が誰よりも深く私を理解してくれて、私の心の中に玉座を築いていることを知っていた。良心が私に叫んでいる。もう一度、私たちが誰だったかを思い出させてあげて。すべてのことが起こる前の、私たちの過去を思い出させてあげて。
私は彼を愛していたけど、彼は私を愛してなかった。私を誰だかも覚えていないんだから。
私たちが訪れた場所、一緒にしたこと、一緒に直面した問題は、もはや彼にとって記憶ですらなかった。彼は二度と触れることのできない霧になってしまった。
彼の目を見たとき、私の心は砕け散り、世界は目の前で崩れていくのを感じた。私は彼を見ることができたけど、彼は私を見ることができない。彼は決して私を見ることができないんだ。
彼に近づこうと一歩踏み出すと、彼はそこにいたままだった。ひるんだり、顔をしかめたりはしなかったけど、近づこうともしなかった。顔にはしかめっ面と奇妙な表情があった。
「ごめん。君、誰だっけ?」
彼は唇を噛みながら、本当に深く考えているように見えた。そして顔をしかめ、頭を押さえた。
答えようと口を開けたけど、プレストンが言ったことを思い出してまた閉じた。この家族を危険にさらすこになってしまった。一緒にいたら、彼らが何も知らない戦争に巻き込むことになる。それは不公平だ。彼らはこの戦争に参加することを選んだわけではないし、参加させるべきではない。そんなことはさせない。
心は叫んでいた。イエスって言って、彼の記憶を取り戻す手伝いをして、彼のそばにいることで、もっと記憶を作ってあげて、って。でも頭はそれを否定した。もっと合理的に、論理的に考えて。
もし彼らを愛しているなら、彼らが傷つき始めたと知ったとき、躊躇せずに手放すはずだ。
これが最善なんだ。
無理やり笑顔を作って、それが目に届くようにした。しばらく練習すれば、作り笑いをするのは難しくない。目を細めて、心の痛みを脇に置いた。
「いえ、間違った部屋に入ってしまったようです。邪魔してすみません」
最後に声が裏返ってしまって、そのミスに心の中で自らを叩いた。
何か疑われるんじゃないかと怖かったけど、代わりに彼は私の笑顔を真似した。彼のほうがぎこちなかったけど、うなずいた。
「問題ないよ」
彼はそうつぶやいて、まるで私の記憶を覆っている霧を突き破ろうとしているかのように、私をじっと見つめていた。
私の心は、彼がもっと深く考えて、私だと認識してくれるように応援していたけど、私の脳は、彼のためにもう諦めてほしいと祈っていた。
何十本ものナイフが私を貫いているように感じて、少しの間だけ自分を保つために、手が震えた。彼の唇が私のものに触れた感覚や、頭に刻み込まれた甘い記憶を、決して忘れないように祈った。部屋を出る準備をして、唇を撫でると、まるでもう一度思い出し、追体験できるように、ビリビリと感じた。
「待って」
アダムがそう呼んだせいで、私の体は硬直し、ドアノブに触れる前に手が止まった。もう一度笑顔を作って、準備をしてから振り返った。
「はい?」
アダムは少し目を細めて、私の顔をじっくり見ていた。私の心は彼を応援していたけど、私の脳は、やめてくれと叫んでいた。私は自分の内なる戦いの渦中にいた。そして、すべては、私のボーイフレンドと呼ぶ、何も知らない男のせいだった。
彼は私のことを彼女として覚えていないかもしれないけど、私はいつも覚えている。それは永遠の苦しみで、逃れることのできないものだった。そして、決して逃れることのできないものだった。
「看護師さんを呼ぶのを手伝ってくれないか?」
安堵の溜息を無理やり出し、落胆を見せないために笑顔を保った。
私は複雑だった。
黙ってうなずいた。もし喋ったら、その場で涙が溢れてしまうんじゃないかと恐れていた。彼の困惑した表情を見て、私の目がぼやけているのに気づいた。涙が溢れそうになって、急いでドアから出て、そっと閉めて、その横の壁を滑り落ち、顔を涙で濡らしながら崩れ落ちた。
そもそも、私の抱える問題は、私の人生を面白く保つには十分じゃないのか?
頭を下げて目を閉じ、この状況を乗り越える強さを静かに祈った。問題を乗り越えて、人生が投げかけてくる障害を乗り越えるために。
感情が爆発した後、私は自分を持ち上げ、涙を拭い、顎を上げた。大丈夫。できるわ。
「正解だったよ、ケイ」
暗い廊下を歩きながら、孤独で迷子になっているように感じながら、私はそう自分に言い聞かせた。
そして、廊下を歩いて、他の人たちと会って、私の計画を話すために。
ケイが姿を消すと、ドムは隠れていた暗い隅から抜け出し、ドアをノックして、アダムの病室に入った。
彼は静かにドアを閉め、ケイの心を奪った男の声を聞くと緊張した。
「君は誰だ?」
アダムの声はぶっきらぼうだった。この見知らぬ男の姿は不安で、見慣れない感情がこみ上げてきた。もしこの男が何か変なことをしようとしたら、どうすればいいか、頭の中でシミュレーションしていた。
ドムはいつも人を納得させるのが上手で、彼には人を惹きつけるカリスマがあったから、アダムに笑顔を向けて、まるで親友であるかのように挨拶するのは難しくなかった。
「おい、マジでビビったよ。やめてくれよ、マジで!」
ドムは冗談っぽく、顔にニヤリと笑みを浮かべたけど、アダムの頭の中では警報が鳴り止まず、警戒心を解かなかった。この男には何か引っかかるものがあったんだ。
記憶は曖昧で、すべてを覚えているわけではないけど、彼の記憶の次に頼れるのは、彼の本能だってことは分かっていた。
「ごめん、僕たちのこと知ってる?」
ドムはアダムの険しい顔に浮かんだ警戒の色に気づいた。アダムを打ち負かすのは難しいけど、ドムは彼を打ち負かすことができると確信していた。
「もちろん、僕たちは親友だよ!」
ドムはニヤリと笑い、アダムは彼が返してきた言葉に笑顔になった。
ついに、誰か助けてくれる人ができた、とアダムはリラックスし始めた。